初恋に        英子編

1−1

K.J 

私(山口英子(えいこ)、ニックネームはA)が伊月音楽短大に入学して、2週間がすぎたころ、私に、手紙が届きました。差出人は田下洋さん。

田下さんて、誰だろう?心あたりがない。変な手紙じゃなければいいけど。恐る恐る開けてみました。手紙の差出人の田下さんというのは、私と同じ高校の同級生みたいで、現在国立の信濃大の1年生ということなので、うちの学校じゃあ相当勉強ができたんだと思います。どんな顔だったかもわかりません。とりあえず、卒業アルバムで確認することにしました。

 どこだ、どこだ、いました。顔は覚えています。彼は、高校のとき少しお付き合いした林君の友達で確かに優等生でした。好みじゃないなあ。でも、私なんかに何か用事があるのかなあ。付き合う気はないけど、少しどきどきしてきた。

 手紙の用件を見てみると、何これ、小学校の5年、6年の時同じクラスで途中で転校してしまった、水野優作君?そんな子いたかなあ?聞き覚えのある名前なんだけど。水野君が私と文通したい?何、そういうことなのかなあ。

 でも、この手紙すごく、まじめに書いてくれてるのはどうしてなんだろう。田下君と水野君はきっといい友達なんだろうなあと思いました。

 とりあえず、小学校の頃のアルバムを引っ張り出して、どの子が水野君なのかやっぱり確認することにしました。変な子だったら、この手紙を無視するか、お断りの手紙を田下君に出せばいいだけだから。

 どの子だろう。5年生の時にいて、卒業アルバムに載ってない子を探せばいいのか。どんな子だったけかな。何枚か探すうちに5年生の時クラス写真を1枚みつけました。あっ、この子だ、確か、みんなにユウ君て呼ばれてたと思う。

  すごく元気のよかった男の子だったような気がする。私この子のこと少し好きっだたかも。へえー、彼も信濃大生なんだ。頭良かったのか、全然知らなかったなあ。でも、感じのいい子だったような気がする。

  一度手紙出してみてもいいかな。返事を見て、次は考えたらいいかと思い、水野君に手紙を出すことにしました。

  なんて書けばいいのか、出だしが思い浮かびません。そうこうしているうちに、夕食の時間になりました。母が呼んでいます。「今行く!」

「英子、今日、男の人から手紙がきてたでしょう。あれ、彼氏?」

「そんなんじゃないって。」すかさず、高1の弟が

「姉ちゃん、ほんとに彼氏じゃないの?」

「違うものは違うのよ。」

「じゃあ、誰なの?」

「高校の同級生なんだってば!」

「何だったの?」

「皆さんには関係のない話しですから。教えませ〜ん。」

「お母さん、姉ちゃん絶対怪しい。」

「あんたにだけは、どんなことだって教えませんよ〜だ。」

父はにやにや笑っています。手紙のお陰で、変なことになってきました。

  部屋に戻り、ペンを取りました。最初が決まれば、何とか書けそうなんだけどなあ。

  思い切って、書き始めました。最初は、お久し振りでいいのでしょうか。から始めました。あとは、何故かすらすら言葉が出てきました。

  書いてるうちに、だんだん記憶が戻ってきます。水野君って確か、運動のできるかわいらしい男の子だったはず。いつも元気だったのは憶えてる。転校した後、何人かの女の子は、彼のことが好きだったことがわかったりしたこともあったような気がします。

  何か不思議な男の子だったようなイメージが残っています。

  田下君から手紙をもらったこと、水野君を憶えていること、入学した、短大のことなどを書き綴りました。最期に、私を憶えていてくれたことの感謝を述べて、ペンを置きました。

  書いたことは書いたのですが、本当に出していいものか、悩みました。友達の宏子に相談したら、

「その話し怪しいんじゃない。あなたの考えている人と同じかどうかわからないんじゃないの。」

「そうなのよねえ。でも、田下君は実在の人物で、実際に信濃大に入学したのは間違いないのよ。」

「私なら出さないな。」

「そうだよね。普通出さないよね。」

  

もう一人の友達夕子が

「ほんとだったらどうする?変だと思えば、その時点でやめればいいんじゃないの。信濃大の学生なんでしょ?私だったら出すけどな。」

「そうなのよね、本当の可能性はあるのよねえ。水野君の印象は私的にはかなりいいものがあるの。」

「気になるんだったら、出したほうがいいよ。」

「そうだよね。出してもいいよね。」

「そうだよ。あっちからお願いしてきたんでしょ。大丈夫よ。」

友達の後押しもあり、手紙は投函されました。別に、返事がこなくてもそれだけのことと思えば、ずいぶん気が楽になりました。でも、手紙の内容をみて、馬鹿にされたらちょっとつらいけど。考えても仕方がない。そう自分に言い聞かせました。

  それから、1週間後、学校から帰って郵便ポストを覗くと、4通の手紙が届いていました。

  そのうちの1通は水野君からの返事でした。彼からの手紙が届きました。

  手紙は、母にわからないようにそっとかばんにしまい、残りの手紙は食卓の上に置きました。

  急いで、部屋に戻りました。意外にきれいな文字の宛名書きです。しばらく、封を切らずに机の上に置いて眺めていました。

  開封したら、何か後戻りできそうもないような、強迫観念に似た感覚が襲ってきます。たかが、手紙の返事なのに。どうしよう?見ちゃってもいいのかな?何故か怖くなってきて、そのまま机の引き出しにしまってしまいました。

  夕食の後、ゆっくり読むことにしよう。そう、それがいい。早く封を切りたがっている自分に言い聞かせます。

  普段は、おしゃべりをしながら囲む夕食も、今日は、私は黙り込んでいました。

「英子あんたどうしたの?えらくおとなしいじゃない。何かあった?」

「ううん、何でもないよ。ちょっと疲れてるだけ。」

「あんまり無理しちゃだめよ。」

「ごちそうさま。今日は、早めに部屋で休むことにする。」

  私は、部屋に戻りました。机の中の手紙を引っ張り出して、やはり眺めています。こんなことをしていても何も始まらない。封を切りました。

  彼からの手紙は、読んだ瞬間に、誠実で、真剣に書かれているのが、わかりました。

 小学校の頃の思い出や田下君と知り合いになったこと大学の様子やサークルのこと。懐かしい思いと新鮮な感覚が私をやさしく包みます。不思議な手紙です。彼自身が不思議なのかもしれません。

  手紙ってこんなだったっけ?

  用件の連絡手段くらいにしか考えてなかったけど。彼に興味が湧いてきました。

  小学校の彼が在学していた頃の写真を全部引っ張り出してみることにしました。遠足に行ったときの写真や運動会の写真、学芸会の写真、何枚かに彼がいました。

  ひょうきんな格好をした写真、笑ってる写真、すましている写真いろいろな表情をした彼がそこにいます。私に、あの頃の記憶が戻ってきます。あの頃の私は、彼にはどう映っていたんでしょうか。一度訊いてみたい気はします。

  次の日、学校で、宏子と夕子に彼からの手紙の返事がきた話をしました。二人は興味深そうに話を聞いてくれました。

宏子「A(私のニックネームAは、英子の「えい」からきています。)の話聞いてると、すごく感じのよさそうな男の子みたいだよね。」

「私も手紙を読んで、びっくりしたもん。」

宏子「彼が転校してったのって、7年も前でしょ?憶えてるもんなのかな?」

夕子「私もそれは思う。だって、小学校の時途中で転校した子のことなんか憶えてないよ。彼、Aのことよく憶えてたね。」

「私も、そう思う。何か不思議なんだよね。何で憶えてくれていたんだろう?」

宏子「彼、案外Aのこと好きだったんじゃないの?」

「手紙の文面からだとそうでもなさそうなのよね。何か、何年も連絡の取れなかった懐かしい友人に再会したような、そんな内容なのよね。だから、それはないと思う。」

夕子「今、手紙持ってないの?」

  「持ってるよ。」

夕子「読ませてくれない。私たちが、彼がAのこと好きだったかどうか判断してみるから。」

「でも、それって彼に悪くないかなあ。」

宏子「ひょっとして、ひょっとしてよ、これから彼と付き合っていく可能性がないわけじゃないんじゃないの。そうしたら、親友の私たちとも、どっかで会ったりするわけでしょ。だから、知っておきたいのよ。」

「話し、飛躍しすぎじゃないの?単に、興味あるだけでしょう。」

宏子「確かにそれはある。でも、Aのこと心配してるのは本当よ。」

夕子「だから、お願い。」

「どう考えてみても、興味本位にしか思えないんですけど!」

  彼女たちに、手紙を見せることにしました。二人は、最初わいわい言っていましたが、読み進むうちに、だんだん静かになっていきました。読み終わって、

宏子「ほんと、Aの話してたのよくわかる。不思議な人ね。懐かしい思いと新鮮な感覚っていうAの言ったことがわかる。不思議な手紙ね。」

夕子「何なんだろう、この感覚は。Aの言う何年も連絡の取れなかった懐かしい友人に再会したっていう感覚もわかる気がする。」

「でしょ。」

宏子「手紙ってさあ、こんなんだったっけ。私にとっては、もっと、日常のありきたりのこととかさあ、自分の感情とかをぶつけたりするもんだったような気がするんだけどなあ。」

夕子「私もそんなふうにしか思ってなかった。実際そういうふうにしか書かないし。」

「そうなんだよね。だから、彼が私のことどう思ってたのか、訊いてみたい気はするの。でも、1度だけの手紙で、そんなことねえ。」

宏子「それもそうだよねえ。これからどうなっていくかもわからないのに。すぐ、手紙も終わるかもしれないし、会ったら幻滅するかもしれないもんね。」

「確かにそう思うし、そう何だけど、悲観的にばっかり物事を考えたくないのよね。」

夕子「この手紙を読んだら、私、私が替わって手紙のやり取りしたいもの。」

宏子「実は、私も本当はそう思った。」

「何それ。私の話しでしょう。」

  二人も、手紙を読んで、彼に興味をもったようです。彼に対する不信感はなくなったみたいです。やっぱり不思議な男の子です。

私は、彼との手紙を続けることにしました。今までの私では考えられません。

 宏子と夕子にもそう言われています。二人は、私が手紙を続けられなくなったら、交代してくれと冗談か本気かわかりませんが言っています。

  こうなったら、意地でも書きつづけます。というより、彼から返事が来る間は、続けてみたいです。

 5月に入り、私は、連休中の私の過ごし方など自分の周りのことなどを、彼には、連休はどう過ごすのか?など手紙に書いて、出しました。彼が実家に帰ってきたらひょっとしたら、連絡があって会えるかもしれないなどと淡い期待を込めて書きました。

 でも、連休中に彼からの電話はおろか、手紙も届きませんでした。少しショックです。宏子と夕子に話したら、「Aの手紙が悪かったんじゃないの。」といわれる始末です。気に障るようなことは、一言も書いてないのに。

  それから1週間くらいしてから、彼からの手紙が届きました。

 彼によると4月の終わりから5月の連休はサークルの合宿で、下宿にいなかったんだそうです。そのあと、すぐ大学対抗戦が始まったため、遠征へ行っていて、手紙を書くことができなかったことなどつづられていました。

  あと、周りの風景のこと、季節の花のうつろいのことなど。読んでいると、なぜかほっとする不思議な手紙です。宏子と夕子はまた読ませろってうるさいだろうな。案の定そうなりました。

宏子「この人の手紙って、いいよねえ。何なんだろう。」

夕子「私が書いても返事くれるかなあ。」

「夕子、あんた何言い出すのよ。」三人で噴き出しました。

彼には、二人に手紙を読まれていることは、内緒です。というより、やってはいけないことをしている後ろめたさがあります。次からは、二人には読ませないことにします。

  

毎月1通か2通手紙は届けました。しばらくしてから、必ず彼からの便りは届きます。夏に実家のほうへ帰ってくるそうです。でも、すぐに学校が始まるので帰ってしまうとのことです。なかなか会う機会がありません。宏子と夕子に話すと

宏子「A、手紙だけのつもりじゃなかったの?」

夕子「だんだん、彼に傾いていってない?」

「そんなこと、ちょっと顔を見てみたいだけ。」

宏子「手紙を通してだけしかわからないけど、何か会ってみたいような男の子だよね。」

夕子「会わないほうがいいんじゃないの。会って、がっかりっていうこと周りでも多いよ!」

「そうなんだよね。でもさあ、だめだったら、それはそれで引きずらなくていいかなあ、何て思ってさあ。」

宏子「でも、A、あんたどっかで何か期待してるでしょう?」

「そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。要するによくわからないのよ。」

宏子「私でも、彼ならそうなるかも。」

「何それ!答えになってないじゃない。」

結局、彼とは会うことなく夏は過ぎていきました。

彼の下宿は、山に囲まれたところで、秋の紅葉は素晴らしいとのことです。

 修学旅行で訪れて、感動したのが信濃大受験の理由だそうです。そんな理由で合格することのほうが、私にとってはもっとすごいと思います。とても真似ができません。

  彼って、彼自身のことはあんまり書いてないような気がする。あまりしゃべらない人なのかなあ。少し気になります。

  秋、部屋で手紙を書いていると、

「英子、電話よ。」

「誰から?」

「知らない男の子!」

誰なんだろう?見当がつかない。電話のところへ行くと母がニヤニヤして立っています。

「お母さん、あっちへ行ってよ!」

母は、笑顔で台所へ行きました。

「もしもし、英子ですが、どちらさまでしょうか?」

「もしもし、水野です。お久し振りでいいのか、初めましてでいいのかわかりませんが、こんばんは。」

えっ。うそ。何これ。彼からの突然の電話でした。

「水野君?ですか。手紙の?(私は何て馬鹿なことを言っているんだろうか。)」

「そうです。突然ごめんね。」

「うううん、そんなんじゃないの。ちょっと驚いただけ。何かあったの?」

「用事があって、明日、実家へ帰ろうかと思ってるんだけど、明日か明後日会える時間ありませんか?」

「・・・・」どうしよう、何て返事したらいいんだろう。明日か明後日?だめだ、ピアノのレッスンで、大阪へ行く日だ。

「忙しいかなあ?」

「ごめんなさい。明日と明後日、私レッスンで大阪なの。残念だけど会えそうにないです。本当にごめんなさい。」

「そんなに謝らなくても、こっちが勝手にお願いしただけだから。」

「会って、話をしたいのはしたいんだけど。」

「じゃあ次の機会を考えるね。この電話、公衆電話でお金がなくなってきたから」

突然電話が切れてしまいました。

 なんて間の悪い時に、レッスンなんか。

  でも次の機会って言ってくれたから、会えるということだから、それがわかっただけでもよかった。

  それに声も聞けたし。意外だったのは、落ち着いた話方をするのが、わかったことです。

宏子と夕子に電話の話をすると、二人は自分の話のように盛り上がっていました。私はついていけそうもありません。

彼との手紙は、月に1度か2度のペースで続いています。

彼とは、その後、電話で2、3度話すことはありましたが1年生の間は、再会の機会はありませんでした。

 大学2年になる少し前の春に、彼の転校以来、8年ぶりで会うことができました。

名古屋駅の出口で待ち合わせをしました。彼はどんなになっているのだろうか、私を見て、嫌な顔をしないだろうか、何て言えばいいのだろうか。彼は、私を見つけることは出来るだろか。ひょっとしたら来ないのではないだろうか。期待して来たつもりが、不安ばかりが募ります。

  一人待ち合わせ場所の壁際で、待っていると

「こんにちは、お久し振りです。優作です。英子さんですよね。」

恥ずかしそうに、彼が声をかけてきました。しばらく顔を上げられませんでした。少しの沈黙の後、

「お久し振りです。英子です。本当にあの水野君?」

「はい、あの水野です。」

笑顔の彼がいました。

私が、思ってたイメージと違う。

ずっと素敵。

こんな子だったけ?

 童顔?

  何て表現していいかがわからない。不思議な男の子。本当にそんな感じ。

 小学校の頃も確かこんなだった。

  あっ、思い出した。彼が転校する時、すごく悲しかったのを思い出した。また会えたんだ。

 私は、このときを、この瞬間を決して忘れない。

 私たちは、会ってまもなく映画を観に行きました。会うときにどこへ行きたいか彼に電話で尋ねられて、映画それもチャップリンのモダンタイムスが観たいと私が希望したからです。

 中へ入ると、観客がいっぱいで、立って観る羽目になってしまいました。

映画で疲れたこともあり、それから2人で喫茶店へ行きました。

 お互い話すことはたくさんありました。

 私の短大のこと(ピアノを専攻していること)彼の大学生活のこととか。

  彼と話していると子供のころ転校してから会ってなかったということがうそのようでした。

  私は、何を話しても楽しく、ふと昨日こうして二人で一緒にいたような気がしてなりませんでした。

 話をしていないと、それで何もかもがこわれてしまいそうな再会でした。

  小学校時代の思い出、小学校を卒業してからの友達の様子などを二人で交わしました。

  「昇君は今四国大学へ行ってる。」とか「正子さんは浪人中」だとか、話といって二人にとってまるで関係のない話しでしたが、共通の知り合いの話が多かったので話は結構盛り上がりました。(大半は当然ながら私が話し役なのですが)彼は頷いてくれるだけなのに、楽しいそんな時間を過ごしました。

喫茶店を出てから食事となりましたが、食べたのは彼だけで、私は胸がいっぱいで食事どころではなく、飲み物を注文しました。

 別にこれといって話すこともなかったのですが、取りとめもない話に私は夢中になっていたようです。

彼の眼を見ていると、私自身の気持ちが見透かされているようで、とても恥ずかしかったのですが、一緒にいられることがとても楽しくて、時間が経つのも忘れて時を過ごしました。

 私は、会ってから彼のことをずっと水野君と呼んでいました。すると彼が、

「友達は、僕のことユウってしか呼ばないから、ユウって呼んでもいいよ。水野君は何か自分じゃないみたいで、変なんだよね。」

「いきなりユウは無理だから、ユウ君って呼んでもいい?」

「そっちのほうが、水野君よりはずっといい。」

「じゃあ、私も英子さんじゃなくて、Aってみんなが呼ぶから、Aでいいよ。」

「僕も、いきなりAは無理。Aちゃんって呼んでもいいかな?」

「ユウ君がそれでいいなら。」

「じゃあ、これで決まり。」

 少し彼との距離が縮まったみたいで、うれしくなりました。それに、話をする中で、また、会ってくれるみたいな話をしてもらって何故かホッとしました。

私は、「送らなくていいから」と言ったのですが、彼は駅まで送ってくれました。短い時間でしたが、過ごした時に幸せを感じて気持ちよく家路につきました。

 私が家へ帰ったとき、母が「もう帰ってきちゃったの?」と驚いています。

 「何で?遅くなるといつも文句ばっかり言うくせに。」

 「だって、デートだったんでしょう?」

「それはそうだけど。お母さん、娘に何を期待してるの。」

「お母さんだったら、もっと一緒にいるけどって思っただけよ。」

「相手の都合もあるでしょう。」

「それでもよ。一緒にいてつまんなかったの?」

「知らない。」

 何なの、うちの母は、どうしろって言うのよ。何か言われそうなので、「バイト行ってくるね。」そういって、家を出ました。

 次の日の朝、宏子から電話が入りました。

「A、昨日どうだった?彼どんなだった?どんな話しをした?」

矢継ぎ早の質問に返事ができません。

「宏子、あんたに関係ないじゃん。」

「そうだけど、私たち親友でしょう?だったら心配するのあたりまえでしょ。」

「心配してるようには、見受けられないんですけど。」

「そんなことないって。だからお願い!」

どう考えてみても、興味本位にしか思えません。

「今から、バイトだからまた今度ね。」

電話を切りました。きっと、夜になったら、家へ来るんだろうなと思いつつバイトに出かけました。

夕食が終わって、しばらくしてから、案の定、宏子が夕子と一緒にやってきました。また、今晩も泊っていくのかなあ。長い夜になりそうです。

 宏子「で、彼、どんな感じだった。」

「すごく感じよかったよ。でも、手紙とはイメージが違うかなあ。」

 宏子「どんなふうに?」

「どんなふうにって言われると説明しづらいんだけど。宏子、あなたは、どんなイメージだと思ってたの?」

 宏子「スポーツバリバリの、誠実そうな、いかにも秀才っていうタイプを想像しているんだけど。」

「私もそう思ってたんだけど、秀才タイプってわけでもないし、何か、見た目は、子供がそのまま大学生になったって感じかな。私が言うのも何なんだけど、年齢よりは相当若く見えるのよねえ。それで、ふんわりしてるっていう感じかなあ。子供のころ、ちゃんとしゃべった記憶もないんだけど、ずっと知ってた感覚になるの。不思議なんだよね。」

 夕子「何言ってるかわかんないよ。周りを見て、似たタイプのいないの?」

「いない!」

 宏子「Aがそれだけ断言するのも珍しいね。水野君てどんな人なのか会ってみたいなあ。」

 夕子「私も!どうも、Aの言うこといまいちわかんないんだよね。会ってみるのが、一番だと思うな。」

「何勝手なこと言ってるのよ!二人には、関係ないことでしょう。」

 宏子「Aのことが心配なのよ。」

少しは心配してくれているところもあると思いますが、興味本位と確信しました。

 それから春休みの残りを、私はアルバイトしたり、友人(宏子と夕子)と遊んだりして過ごしました。

 彼が、下宿に戻る前に、会ったときのお礼や周りの出来事などを手紙にしたためて、投函しました。手紙を書くことって、こんなに楽しかったのかと認識しました。

彼は2年生になって下宿が変わったそうです。

 新しい下宿の周りは、何にもなく、田んぼと畑だけのところだそうです。

  静かな夜は、牛の鳴き声が良く聞こえるそうです。

 小学生は、冬になるとランドセルに鈴をつけて学校に通うそうです。

  何と!熊が出るからですって。手紙に書いてありました。

  彼と会って、話したことが私と彼の距離を縮めたのかもしれません。一ヶ月に一通か二通でしたが、手紙を出すのが、届くのがとても楽しく、本当に楽しみとなりました。

 夏休みに入る前に、ユウ君は実家で用事があったため帰ってきました。彼から電話があって会うことになりました。その話を宏子と夕子にしたら、私たちにも一度会わせろとしつこくせがみます。

「絶対だめ。」と言い張ったのですが、勝手について行って、

「あることないことしゃべってもいいの?」と開き直る始末で、仕方なく、偶然、会う直前に出会ったことにして、一緒に、彼を待つことにしました。

彼は、時間どおりにやってきました。私が友達と一緒だったことに、少し驚いていたようですが、笑顔でこちらにやってきます。

  宏子「あの人?」

「そう。あの笑顔の人。」

 夕子「意外!」

何が、意外なんだろう?訊いてみようと思いましたが、それより先に、彼がやってきてしまいました。

「待った?」

「ううん。偶然ここで、友達と会って。紹介するね。宏子さんと夕子さん。」

「初めまして、同じ短大で仲良くしてます、宏子です。」

「夕子です。」

「初めまして、水野です。よろしくお願いします。」

ユウ君は二人に丁寧なあいさつをしました。ふたりもお辞儀をしてから、離れていきました。あの二人は、これから喫茶店で、ユウ君のことで話が盛り上がるんだろうな。次に会うのが怖いような気がしてきました。

 私は、就職の話しやら、宏子と夕子のことなど話しました。

  彼は、時折、心ここにあらずというような表情をしますが、笑顔で聞いてくれます。

  彼に、何かあったのかなあ。

  あまり、自分自身のことについては、彼は、話をしません。

  そこまで、親しくなってもらっていないのかな。私は訊くことができませんでした。

  時間は、あっという間に過ぎていきました。バイトの時間もあり、その日は、他に行くこともなく別れました。

 その晩、宏子と夕子は、予想通り家へやってきました。

 宏子「Aの言ったこと何となくわかった。」

「本当かなあ?」

 宏子「会ってみるまで、何を言ってるんだろうって感じがしたんだけど、会って、なるほどだった。」

「何か不思議でしょう。」

 宏子「そうだよね。何か不思議なのよね。夕子あんた、意外って言ってたけど、あれってどういうことなの?」

  夕子「Aの話聞いてて、彼ってもっと頼りないイメージがあったの。会って見たら、何か素敵なのよね。不思議だなあと思って。」

「それ、彼に、春に会ったときに抱いた私のイメージ!」

 夕子「ほんと、それ。私が付き合ってみたくなっちゃった。そんな感じなのよね。」

「あなた、彼氏いるじゃん。」

 夕子「そうなのよね。とっかえてくれない?」

 宏子「何、馬鹿いってるの。彼のことAが気になるのわかる気がする。いいなあ。替わってくれないかなあ。」

「まだそんなんじゃないから。それに、彼がどう思ってるかもわからないのに。やめてよ。」

 夕子「水野君てさあ、そういうこと気がつかないかもしれないよ。私の彼氏と比べるのは何だけど、彼って、そんなことあんまり気にしないような気がするな。」

 宏子「どうして?」

  夕子「ただ、何となくだけど。」

「そこまで、深刻に私考えてないから、先に進まないでくれる?」

 宏子「そうだよね。どうなるかわかんないよね。始まったばっかりだもん。でも、そこがいいのよね。うらやましいなあ。」

彼の話で、夜が明けていきます。

 夏休みに入りました。それまでは、順調に、返事がきていましたが、休みに入ると、返事がこなくなりました。

 どうしたんだろう?待ち合わせ場所に、宏子たちを連れていったのが悪かったのかなあ。少し不安になってきました。

 宏子と夕子に会った時、相談してみました。

 宏子「バイトとかサークルとかで忙しいんじゃないの?」

 夕子「いきなり、や〜めた。って言うような感じの人じゃなかったもの。」

「それはそうだけどさ。」

 宏子「最初、私が言ったこと憶えてる?」

「確か、『変だと思えば、その時点でやめればいいんじゃない。』だったっけ。」

 宏子「それは、Aだけじゃなく、水野君も同じでしょう。」

「そうなんだけど、何か気になって。最近、手紙書くのも、もらうのも楽しいんだよね。」

 夕子「A、あんた少し彼に傾いてるんじゃないの?」

「そこらあたりは、よくわからないんだよね。」

 夕子「水野君てさあ、子供みたいな感じだよね。あの時も言ったけど、意外だったなあ、大学でスポーツしてるし、もっとごつい感じの人かって想像してたんだけど。」

「私も最初びっくりした。えっ、て感じだった。子供がそのまま少年になったっていうのかなあ。うまく表現できないけど。」

 夕子「何となく、いいたいことわかるよ。何か不思議な感じなのよね。」

 宏子「私は、彼となら付き合ってもいいな。」

「何勝手なこと言ってるのよ。宏子は!」

 夕子「彼ってさあ、普段街で歩いてたら、服装によっては、中学生くらいにしか見えないんじゃない?」

「彼に聞いたんだけど、パチンコしててもよく補導されるんだって。学生証見せても信用してもらえないこともあるらしいよ。」

 夕子「それわかるわ。」

「それと、手紙が来ないのは、全然関係ないんだけど。」

 宏子「そのうち来るんじゃないの。Aが嫌われてるとは思えないし。もう少し待ってみなよ。2ヶ月も3ヶ月もこないようだったらあきらめたほうがいいけどね。」

「他人事だと思って!でも、もう少し待ってみようかな。」

 夕子「そうするしかないんじゃない。」

「そうする。」

答えにはならなかったけど、少し気が楽になりました。もう少し返事は待ってみようと思います。

夏休みももうすぐ終わる8月下旬に、彼からの手紙が届きました。

 2ヶ月近く待ちました。

  彼の便りでは、夏休みに入ると同時に、サークルの合宿、試合、合宿、試合、合宿というように遠征と合宿で、下宿に戻ることがなかったそうです。

  内緒ということで、書いてありましたが、加えて再試験と追試験も受けなければならなくて、大変だったようです。

8月の終わり頃に、実家に帰るとのことです。

 そのときに会いましょうと、誘ってくれています。

 日が決まれば、バイトをその日交代してもらわないと。宏子と夕子にも手紙が届いたことを知らせました。

 ふたりとも「よかったね。」って言ってくれました。宏子は、少し残念そうでした。

彼とは、夏休みも終わりの頃、8月の末に会うことが出来ました。

 私もアルバイトが忙しくて替わりの人を探すのが大変でした。

  二人の待ち合わせは、初めて会った場所が二人の待ち合わせ場所となりました。

  それから二人で地下街に入ります。別に彼からでも私からでもなく、どちらが言い出す訳でもなく、並んで歩いているとそちらの方へ行ってしまうのです。

  彼とどうしていつもこちらの方に来てしまうんだろうと話をしましたが、今もってその訳はわかりません。

  地下街で二人で向かい合っていると必ず、時間があっという間に過ぎていきました。

 会って話すことといってもこれといってなかったのですが、お互いどのような状態にあるか手紙のやり取りでわかっていたからです。

  彼がしゃべりだせば私は頷き、逆に私が話し出せば、彼が頷くというように。二人の間に沈黙が入ればそれはそれで楽しいのです。

  このあと、私たちは名古屋城へ行こうということになりました。

 彼は、小学6年生のとき転校してきたのですが、天守閣に登ったことがないとのことでした。

  だから、一度登ってみたいと思っていたそうです。

  私もお堀の所までは行ったことあるけれど、天守閣へはまだ登ったことがなかったので、行ってみようということになりました。

  月末とはいえ、まだ8月です、暑い中、私は汗をにじませながら歩きました。

  彼はというとスポーツをしているということもあり、暑さに強いらしく、涼しい顔をしていました。

  炎天下のなか、私には、かなりハードでした。日記にも本当に暑い1日だったと書いています。

 二人で天守閣に登ったのですが、一度焼失してしまったため、現在の天守閣は、当時の姿は現存せず、何もないデパートのようで、がっかりしてしまいました。

  天守閣へは折角登ったのですが、すぐ外へ出てしまいました。お堀のそばにあった売店で、彼と「失敗したね」といいながらかき氷を食べました。

  暑い中歩いてきたので、かき氷のほうがありがたかったです。彼は、元気で楽しそうでした。

 私にとって、普段の彼はあまり注文をつけるところがありません。一緒にいても本当に楽しいです。

  あまりに暑く、氷を食べたからといって涼しくなったわけではなかったので、涼しいところを探そうということになりました。

  売店の近くに、県の体育館があり、何かの試合をやっているようで、入場してみることにしました。

 入っていくと、ちょうど大学の卓球大会が開催されていました。

 中はとても涼しく、外に比べれば、天国のようでほっと二人でため息をつき、顔を見合わせ笑ってしまいました。

二人で、隅っこですわっていたら、一人の選手がこちらに近づいてくるではありませんか。

誰だろうと思っていたら、何と高校の同級生だった美幸さんです。本当にびっくりしました。

 彼のこと美幸さんはどう思うだろう。まだ、告白もされていないし、彼がどう思っているかもわからないのに。

私は、何を照れてるんだろう。自分で自分が恥ずかしくなってしまいました。

彼は、落ち着いたもので、慌てた私が紹介をする前に、美幸さんにあいさつをしました。彼の落ち着きようにびっくりしました。

しばらく、美幸さんに試合の解説を聞きながら時間を過ごしました。

 何試合か見てそれから、名古屋駅の方へ戻り喫茶店に入りました。

 彼は、もう少し試合を見たかったのかもしれません。が、私があまり興味を示さなかったので、出ようと言ってくれたのです。

 結構、気を使う人なんだなと感心しました。

一体話すことなんかあったのでしょうか。そう思えるくらい一緒にいました。

ただ、一緒にいることが楽しくて、楽しくて。何もしなくても時間は過ぎていきます。

話に夢中になっていて、私の門限がせまってきます。

こんなに楽しいときでも別れのあいさつをしなければなりません。

  次に会えるのは、何ヶ月後になるかわかりません。

  「さよなら」という言葉が出せず、私が黙る時間が長くなります。

それでも、喫茶店を出なくてはいけません。

 彼は話をしながら私を駅まで送ってくれました。

  私は、黙って歩きました。

  この寂しさは、何なんだろうと思いました。

  彼は、私のことをどう思ってくれているのだろうか?

  彼女はいないんだろうか? 

  色々な想いが頭の中を駆け巡りますが、怖くて訊けません。

その日のうちに、私は手紙を書きました。

 1日一緒にいて楽しかったことのお礼を込めて。

  本当は、就職で悩んでいることも話ししたかったのですが、彼を見ていると、あまり私事で煩わせたくないなあと、ふと思い、やめました。

  彼が、下宿に戻る2日前の夏のことです。

 冬まで、彼との楽しい手紙は続いていました。

私は、就職活動にも熱が入り始め、11月末になって、何とか、地元のピアノスクールの講師として内定をもらいました。

  ただ、アメリカで活動している先輩の弥生さんが、「こっちに来て、ピアノをやってみないか。」と熱心に誘ってくれています。

  彼女は、今、ロスで売り出し中のジャズピアニストです。彼女に誘われることは非常に名誉なことです。うれしいことです。心の中は、揺れ動いています。

  両親には、どうなるかもわからないので、話しをしていません。

  母は、地元で就職が、決まったことが嬉しいらしく、近所の人にも触れ回っています。

  それに、ユウ君にも話をしていないし。彼なら、なんと言ってくれるんだろうか。答えが怖いですが。

 彼は、冬休みは、実家へ帰る予定はなかったのですが、思わぬ足の怪我で帰ってくることになりました。

  正月明け、下宿に戻る前日に彼と会うことになりました。

  いつもの所で、待ち合わせし、いつもの喫茶店に入りました。

  会えないと思っていたので、このときとばかり、彼に就職で悩んでいる話や将来の夢の話をしました。しかし、何故か弥生さんからの話はできませんでした。

  彼は静かに聞いてくれています。彼の夢って何だろう?聞いてみたい気もするけど、話してくれないものを、無理に聞くのもと思い、言い出せませんでした。

  彼の怪我のこともあり、その日は別れることにしました。

  彼に駅へ送ってもらう途中、彼の中学の同級生で、すごく素敵な女性とばったり顔を合わせました。

彼女「帰ってたの?」

ユウ「うん」

彼女「いつ」

ユウ「4日前」

彼女「ふ〜ん、どなた?」

ユウ「彼女は、岐阜の小学校で転校した時一緒のクラスだった山口英子さん。」

彼が私を紹介してくれました。すると、明るく

彼女「はじめまして、加藤 恵です。よろしく。」そう笑顔であいさつをして、さっと彼女は人ごみの中へ消えていきました。

 「今の人誰?」

「中学の同級生だけど。1年の時からの付き合いなんだ。」

「きれいで素敵な人ね。」

「性格は悪いと思うよ。」

「そうかなあ。そういう風には見えなかったけど。」

恵さんは、ユウ君のことを本当に好きなのがよくわかりました。

 それも、ずいぶん前から。彼女は、私たちのことをどう思ったのでしょうか。

  彼は、恵さんの気持ちにまったく気づいてはいないようです。

 だから、彼はきっと私の想いにも、決して気づいていないと思いました。

  私は、私の今までの人生のなかで、女性のあんな、悲しく、寂しい眼をした笑顔は見たことがありませんでした。

  恵さんは大丈夫だろうか?

  ひょっとして、私は大変なことをしてしまったんじゃないのだろうか?

  何もなければいいけれど。

  ものすごく、いやな胸騒ぎがします。

  私は、彼に出会ってはいけなかったんじゃないだろか。

  頭の中を色々な思いが駆け回ります。

  彼に話す言葉が浮かんできません。

  私が黙り込んでしまったのを心配してか、彼が私の顔を覗き込んでいます。何を話していいかわかりません。

  この罪悪感は何なんだろう。その後、何も話せないまま、その日は、彼と別れました。

家へ帰っても、何も手につきません。泣きそうです。宏子と夕子に家にきてもらいました。

彼女たちに駅で、起きたこと、私の中で起きたことを話しました。

「どうしたら、私はどうしたらいいと思う。」

宏子「私なら、どうするかな?想像つかない。」

夕子「Aには、がんばりなさいって言ってあげたいけど、Aの性格知ってるし、もうA、あなた、決めてるんでしょ?」

「・・・・」

宏子「すごい場面に、出くわしちゃったね。今のままじゃあ、ユウ君にA、あなたの想いは永久に届かないと思うよ。」

夕子「どうする。A。」

「このまま、流れに任せるしかないのかも。」

宏子「彼が、誰の想いに気がつくかよね。」

夕子「ほっといたら、Aあんたの気持ち気づいてもらえないよ。」

「私、考えてたんだけど、・・・やっぱ言うのやめとく。」

宏子「ためないほうがいいよ。吐き出すものは吐き出したほうがいいって。聞いてあげるから、続き、話してみなさいよ。」

「人にはそれぞれ、与えられた役割りがあると思うのよね。

 私とユウ君が巡り合ったとき、恵さんはもう彼と付き合ってたの。

   中学1年からよ。男の人のことはわからないけど、女の私でさえ、そんなに長く想いつづけられるかどうか自信がない。

   本当に好きじゃないとできないことなんじゃないかなあ。

   彼は、気づいてないだけで、根っこのところでは、二人は結びついているんじゃないかって。そう思ったの。」

夕子「でも、彼は、彼女のこと気にもかけてないかもしれないじゃない。」

「わかるのよ。私にはわかったの。彼女の気持ちが。そして、彼が気がつかなければならないことを。」

夕子「でも、彼女が彼のことを本当に思っているか。そんなの実際わからないじゃない。」

「私だからわかるのよ。私は、あんな悲しい眼で人に笑顔は見せられない。彼に迷惑はかけられないと思う強い心がないと・・・私には、真似ができない。」

宏子「彼女は、本当に彼のことを想ってるってこと?」

「そう。私ではかなわない。誰もかなわないと思う。彼もそれにきっと気がつくと思う。気がつかなきゃいけないのよ。あの瞬間、私は思ったの。」

夕子「A、あなたすごいね。そんな台詞は言えないよ。」

「あの時、私気づいたの、私は、このために出会ったんだって。彼と彼女を結びつけるために。」

宏子「A、つらくないの?」

「つらいよ。本当につらいよ。泣きたいくらいつらいよ。

でも、私が、そう思うと彼女が悲しみの中から立ち上がれなくなってしまうんじゃないかって思うの。

 彼女の慟哭が聞こえそうなの。」

夕子「強いね。強くなったね。」

「私と彼女が悲しみの中に沈んだら、彼まで、溺れさせることになると思うの。

 それだけは、絶対避けないといけないし、そんなことになって欲しくないの。

  彼は、いつまでも彼のままでいてほしいの。そのためには、彼女が必要なのよ。

  そして、彼が彼であるためには、彼女が必要なんだってわかったの。」

宏子「A、あなたじゃあだめなの?」

「私は、彼女の代わりにはなれないし、彼はそれを望まないと思うわ。」

宏子「どうして?」

「私は、大学に入ってからの彼と彼の日常しか知らないの。彼女は、彼の人生に対する思いも含めて、すべてを包み込んでると思う。私は、彼の将来とか人生について、何も聞いたことがないし、話してもらったことがないの。」

宏子「それは、とてもかなわないわね。」

「彼女と彼がうまくいくことを祈るしかないんだけど。」

夕子「よくそこまでの、気持ちになったね。」

「彼のお陰かもしれない。彼と知り合ったから・・・」

泣かないつもりが、涙がとまらなくなってきました。二人も泣いています。

夕子「彼と彼女うまくいくといいね。」

「きっとうまくいくと思う。」

宏子「うまくいくよね。Aが好きになった人を、Aが認めた人が好きになったんだもの。」

「うん。そうなると思うよ。あの二人とは、私、ずっと友達でいられたらと、心からそう思うの。」

宏子「喧嘩別れしたわけでもないんだし、友達として付き合っていけるわよ。」

「そうよね。そうだよね。」涙で私は答えました。

その晩、二人は、うちへ泊まっていってくれました。つらさはありますが、友情で半減しました。

  その次の晩、私は彼に、いつものように手紙を書きました。こんなに書くことのつらい手紙は初めてです。

  できるだけ普段どおりの文章と内容で、当り障りのないように。心の薄い手紙となってしまいました。

それでも彼からは、返事がもらえました。

1月も末、考えに考え抜いて、私は、両親に私のピアノに対する想いを打ち明けました。

 弥生さんから誘われていること。私もロスでピアノをやってみたいことを。

  ユウ君のへの想いがきっかけだったことは間違いありませんが、私の人生のこの決断を下すために私は、彼と巡りあったのだと思います。

 これが、私の運命なのだと考えれば、すべて受け入れられます。最期、両親は、私の必死の願いに折れました。

  

卒業間もない、2月に入り、私は、宏子と夕子と短大の友人和子と4人で、長崎と熊本へ卒業旅行に旅立ちました。私へのさよなら旅行と私の彼へのさよなら旅行です。

 私たちは、長崎に降り立ちました。まったく偶然とはおそろしいもので、駅の改札を出たところで、ユウ君と出会ったのです。この長崎でです。

  私はびっくりしてしまいました。運命のいたずらとは、こんなに皮肉なのでしょうか。

 私の心は少なからず動揺していました。私の心は決まっています。

  でも、その時の私の驚きの顔は3人からみると大変なものだったと思います。

  彼も相当びっくりしていました。誰一人として知る人のいないところで、こんなことがあるのだろうかと思いました。彼は、1人で九州へ旅行に来たとのことでした。

私はみんなに彼と少し話をする時間をもらいました。友達は、遠慮して少し離れたところで待っていてくれました。

  二人だけにされると、何となく変な感じでしたが、こんな感じは初めてのことです。

  彼が、話しかけはじめました。

「あれから元気だった。久し振りだね。」

「元気だよ。足の怪我はいいの?」

「もう大丈夫。」

「恵さんは元気?」

「元気。元気。」

「素敵な人ね。いい人そうね。私悪いことしちゃったね。」

「そんなことないって。Kもあやまってた。いや、あやまっておいてほしいって。」

「そんなこといいのに。私のほうこそ、恵さんにあやまらなきゃって思ってるのに。今ね、卒業旅行中なの。私ね、来月、アメリカへ行くことにしたの。」

「アメリカ?」

「そう、ロス」

「ロス?」

「前から先輩に誘われていたんだけど、先月、両親を説得して決めたの。」

「英語は?大丈夫なの」

「何とかなると思うよ。まだ若いし。」

「すごいね。悪いことしちゃったね。」

「ううん。いい決断が出来たと思ってるの。本当はすごく迷ったんだけど。夢だったから。ところで、恵さんの連絡先、今わかる?」

「わかるけど。」

「彼女とちゃんとお話がしたいから、教えてくれない?」

「いいよ、ちょっと待って。」

恵さんの住所と電話番号を彼が渡してくれました。

「迷惑じゃなかったら、また、手紙書くね。」

「返事書くよ。」

「ありがとう。みんなが待ってるから、もう行くね。」

「わかった、気をつけてね。」

「あなたも。恵さんによろしくね。大事にしてあげてね。」

「ありがとう。伝えとく。」

何となく、寂しく、切ない気分となりました。これが、運命なのだと。その夜、3人は私を元気づけるために、にぎやかな食事会を開いてくれました。友情と寂しさで涙がとまりませんでした。でも、私はこれから前を向いて歩いていけそうです。

彼へは、アメリカへ出発する直前に、最期の手紙を投函しました。住むところもまだ、決まっていないので、住所は書けません。今までのお礼とこれからの希望を書きました。

ロスに着いて1週間後、私は、恵さんに手紙を書きました。

加藤 恵 様

 突然の、お手紙お許しください。

 私は、恵さんの心を傷つけてしまいましたね。本当にごめんなさい。優作さんからは、恵さんのことは何も聞かされていませんでした。私と彼は何でもなかったのでご安心下さい。

 正直を申し上げますと、私はひそかに彼のことが好きでした。彼に何を望むものでもありません。ただ、一緒にいると、妙に安心できる人だったからです。彼は、本当に不思議な人です。

 恵さんが彼のことを、長い間、本当に心の底から想っていることをあの瞬間に知りました。

   そして、彼に本当に必要なのは、恵さんなのだと。

   あなたの眼差しは、まっすぐ彼だけを見ていました。私も、次に出会う人にはそうありたいと思います。

  もっと早くに、彼の存在に気づいていたら、出会っていたら違った人生になったかもしれません。でも、出 会ったのは、恵さんですよね。

 あの時、私は気づきました。私の役割を、私が彼と再び巡りあったわけを。私は、そのために出会ったんです。彼とあなたを結びつけるために。

 本当に、恵さんには、つらい思いをさせてしまったと思います。

  彼には、温かい心をいっぱいいただきました。

    それは、恵さんが本来もらうべきものだったと思います。

    本当に申し訳ありませんでした。

    こんなことを私が言うのはおかしいかもしれません。でも、あえて言わせてください。

    他の人だったらどうかわかりませんが、あなたなら、彼を安心して任せられます。

 おかげで、私は思い切って、夢にかけることができました。

    ピアノは私の夢です。アメリカで、思い切ってその夢に賭けようと思います。

    それは、あなたや彼が後押しをしてくれたことになったからだと思います。ありがとうございました。

不躾で申し訳ありませんが、恵さん、私と文通をしていただけませんか。これからのあなたたちのこと、彼の将来のこと、お二人の幸せを知らせていただけないでしょうか。

大変失礼なこととは存じておりますが、あなたとなら私、お友達になれそうな気がするんです。気に障ったらごめんなさい。

私が、初めて本当に好きになった人を任せられる恵さんとなら仲良くしていけると思っています。よろしくお願いいたします。

本当にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。

                         英子

1週間もしないうちに、恵さんから返事がきました。

山口英子 様

お手紙ありがとうございました。

あなたのユウへのやさしい思いに触れ、ユウは本当にいい人と巡りあったのだと感じました。

私のほうこそごめんなさいといわなければならないと思います。

 私は、ユウがあなたと文通から始めて、お会いしてることをあの時まで知りませんでした。

  あなたのユウに対する大切な思いを私は引き裂いてしまいました。本当にごめんなさい。

謝ってすむ問題ではないと思いますが、私は、英子さんとユウに駅であった時、本当に失礼なふるまいをしてしまいました。申し訳ございませんでした。

私は、あの時英子さんのユウに対するやさしさ、想いを知りました。それでも、私はあのような眼差ししかできませんでした。本当にごめんなさい。

ユウは、誰にでもやさしく、誰にでも同じように接してくれます。でも、人の気持ちは、女の人の気持ちに気がつくことはありません。いつもそうです。そういう点でもご迷惑をかけたことをお詫びします。

私が、ユウと出会ったのは、中学1年、12歳のときです。私は、そのとき、ユウのお嫁さんになることを決めました。

祖母によると、私は、ユウと出会うべくして出会ったのだと。私はそれを信じて生きてきました。

ユウは、そのことにずっと気づくことはありませんでした。

 そして、気がついてもらえるまで8年もかかりました。それは、英子さん、あなたのおかげです。

  あなたには、大変失礼なことをしてしまったことと思います。お許しください。

ユウは、あまり自分のことをしゃべりません。私が出会ってからも多分それはあまり変わりません。だから、あなたにとって、わからないことが多かったことと思います。

ユウにとって、英子さん、あなたは初恋の人です。憧れです。

 これは、ユウの口から出た言葉です。うそではありません。

  私は、ユウの初恋まで壊してしまいました。本当にごめんなさい。

謝ることしか、私には許されないのかもしれませんが、あなたのおかげで、今、私は、ユウと一緒に歩いていけるようになりました。本当に感謝しています。

  ユウにとってあなたが、初恋であるように、私にとって、ユウが初恋です。

  そして生涯1度の恋でありたいと節に願っています。

  ユウは、生物学者になることを夢見て大学に入学しました。時間がかかると思います。それを私は、待ち続ける決心がつきました。

  それもこれも、すべて英子さんあなたのおかげです。本当にありがとうございました。

文通のお話しですが、よろしくお願いいたします。

先日、偶然ですが、ユウに、私も英子さんとお友達になりたいということを話ししました。

 お手紙を読み、同じ気持ちでいていただいたことに心から感謝いたします。

  厚かましいお願いで申し訳ありませんが、是非、お友達としてお付き合いさせていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

そちらでの生活は、まだまだ慣れないでしょうが、健康に気をつけて、お過ごし下さい。

                           恵

彼女の手紙は、私からの手紙のお礼とお詫びばかりです。

彼への彼女の強い思いが伝わってきます。

 彼と私と駅で出会ったときのこと、恵さんの彼への思い、そして、彼の私への想いなどがつづられていて、私の判断は本当に間違ってはいなかったと確信しました。

彼女とはそれから、月に1度か2度の文通が続いています。

 私たちは親友になりました。

  彼女は私を今は、Aと呼んでくれます。私も彼女をKと呼ばせてもらっています。

  私が、帰国した時には、一緒にお茶を飲んだり食事をしたり、ユウ君の悪口を言ったりしています。彼女も、私の住むアメリカへ何度も遊びにきました。

  彼は遠くで、私たちを眩しそうにみています。

  あれから、30年。みんなそれぞれの人生を歩んでいます。

私は今、ジャズピアニストとしてニューヨークを中心に活動しています。来月日本でコンサートを開催します。連日テレビなどで紹介されているそうです。

ユウ君はというと、博士号を取得し、夢をかなえ、大学で教鞭をとっています。

Kはユウ君と、結婚して子供二人の母親となっています。

  先日、二人にコンサートのチケットを送りました。二人そろって、来てくれるそうです。そうKからメールがありました。

  彼女たちに会うのは、3年ぶりです。一緒に食事をするのがとても楽しみです。

  今回の来日は、主人も一緒です。主人は、ユウ君と同じ臭いのする人です。ユウ君とは馬が合うらしく、親友として付き合ってもらっています。ちなみに、主人も大学で教鞭をとっています。

いよいよ明日はコンサートです。このコンサートが終わったら食事会です。

  Kとユウ君に最高のステージをプレゼントができればとの思いで、私のリハーサルにも熱が入ります。

  客席で主人がやさしい笑顔で、聴いてくれています。私も笑顔で応えられそうです。

                                                                完

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