私(名前は、水野優作、ニックネームはユウ)が、腕白盛りの頃通った岐阜の小学校は、今はもうすっかり変わってしまっていますが、周りは田畑に囲まれていました。
春には菜の花が咲き、苗代の青さが目に痛いような景色が広がる中を友達と走り回りました。
夏には、小川に入り、カエルを取ったり、ザリガニを取ったりしました。あの頃は、ゲンゴロウもタガメもメダカも捕まえることが出来ましたが、今はもうすっかりいなくなってしまいました。夢中になって夕暮れまで遊んだため、遅く帰っては、母にしかられてばかりでした。
「ユウ、あんたいつまで遊んでるの!夕飯抜きだよ!」母の口癖でした。
効果はほとんどありません。
秋には、稲穂のたれる畦道を、冬には、寒風吹きぬける山道を駆け巡って遊んでいたことを懐かしく思います。
私は、小学2年の夏前にここ、朝日小学校に転校してきました。そのときに同じクラスの中にかわいい女の子、純子ちゃんがいました。成績も優秀で、クラス男子のマドンナ的存在の女の子でした。私もみんなと同じように、かわいい子だなあと想っていました。多分、クラス男子全員ができれば、純子ちゃんの隣の席になれればと思っていました。が、彼女の隣になったりしたら、それこそ、クラス男子全員を敵にまわしたような状況になりそうで、隣の席になった子はうらやましくもありましたが、私には、あのみんなの視線に耐えることが出来たかどうか。幸いかどうか、純子ちゃんは、4年の途中で転校していってしまいました。男子はみんながっかりしていたのを覚えています。
あれは確か小学5年生になるときだったと思いますが、クラス替えがありました。英子ちゃんと出会ったのはその時です。彼女は、4年生のときに転校してきたとのことでした。(これは、後から聞いた話しです)5年生といえば、いたずら盛りで、恋愛だのなんだのと色気のあるようなことはまったくありませんでしたが、ふと、彼女に対する想いがかわっていったのは、いつの頃からだったのでしょうか。
私は、ある晩夢を見ました。ずいぶん昔のことで、はっきり記憶の中にはありませんが、なぜか、私が英子ちゃんに顔を張られている光景だけを憶えています。なぜそんな夢を見たのかわかりませんが、私の心のどこかに彼女が知らず知らずのうちに入ってきてくれたのかもしれません。(友達には、そのようなことは、一言も話しませんでしたが、あの頃の5年生の男の子がそんなことを話すことはないとは思います。)自分自身もそれがどういうことなのか考えませんでした。
それがわかったのは、6年生になったときです。その頃、父の仕事の都合で、私は名古屋に転校しなければならなくなりました。そのとき初めて、これが初恋なのではと何となく感じました。小学生の私は、英子ちゃんに自分の気持ちを打ち明ける事が出来なければ、当然、彼女の住所を聞く事も出来ませんでした。彼女は、私のことなど、眼中になかっただろうし、私もそれを分かっていたからなのかもしれません。甘くはなく、ただただ切ない初恋でした。
転校した西岡小学校では、すぐに友達は出来ましたが、英子ちゃんのような女の子はいませんでした。
あの頃想っていたような少女像は思い出せませんが、なつかしい想い出の中での彼女は華奢で、
春の風にそよぐ彼女の髪はサテンフラワーのようにやわらかく
笑顔は夏のきらめく太陽のようで
秋には、紅葉の色をその眼に映し出し
冬の寒さにのなかで暖かいやさしさを
少女の笑顔は、山の木々の緑をいっそう美しいものにしてしまい
落涙は、小川のせせらぎまでも止めてしまうのでは
きっと書き始めれば、メルヘンとしていくらでも書けるのかもしれません。しかし、イメージの中でしか存在しません。
中学に入学してからは、彼女のことを思い出すことはほとんどありませんでした。忘れていたのかもしれません。
クラブ活動に没頭し、好きでもない勉強に追われた毎日でしたから。今でも中学時代が一番彼女への記憶にないことの多い時代です。
私の通った西山中学は、4つの小学校から生徒が集まるマンモス校で、1学年500名12クラスあるような学校でした。卒業アルバムを見て、初めてこんなかわいい女の子がいたのか?とびっくりしたくらいですから。あの頃友人たちの間で話題になった女の子がK(加藤 恵、ニックネームがK)です。
彼女は、聡明で明るく、スポーツ万能でおまけに美人でした。たまたま、私とクラスが同じで、席も近かったのでよく話をするようになりました。最初は、私もみんなと同じように彼女に憧れていましたが、彼女の私に接する態度は、どう考えてみても異性とではなく、むしろ同性のようで、ひどいときは親分と子分みたいで。途中から私は、彼女を異性として意識するのをやめました。
最初の頃から仲の良かった友達の山田健君(ニックネーム ケン)に頼まれて、Kにどんなタイプの男の子が好きか聞いたことがあります。
私「Kってさあ、どんな男の子がタイプ?」
K「なんで?」
私「ちょっと、聞かれて」
K「ばっかじゃないの。」
私「・・・・教えてくれてもいいじゃん!」
K「少なくても、頭が良くて、スポーツ万能で、背が高くて、ハンサムで、ピアノが弾ける人かな。あと野球がうまい人。」
私「・・・・(ふざけんなよ!)」
その当時、Kの基準にパスするとしたら誰が考えても、1年上の野球部の伴先輩しか考えられません。伴先輩は誰もが尊敬してやまない先輩だったので、伴先輩に対抗できる者など誰もいないと考えられたので、ケン(ちなみに野球部員)もそれを聞いて、Kのことはすぐあきらめました。ただ、それを聞いたら、Kに憧れている連中ががっかりするので、ケンと私、二人だけの秘密にしました。それもいつのまにかばれてしまうのですが。
私とKの友情はその後も続くのですが、誰も私たちが付き合っているとも見てくれていないし、私もKもそんな気はなかったと思います。ただ、Kの好きなタイプを知らない連中は、私に「Kを紹介してくれと」何人も頼みにきて、その都度紹介したのですが、ことごとく返り討ちにあってしまいました。終いには
K「ユウ、あんた、いい加減にしてよ!もう、変な男連れてこないで!」
こっぴどく、しかられる始末です。何で私が怒られなくてはいけないんだろうとは思いましたが、あれだけ、男子を紹介したら怒ってくるかもな。となんとなく納得はしました。
ただ、Kのことを好きな男子はかなりいたようで、誰かが振られるたびに、私のところへ頼みに来る始末です。みんなには、一応
「Kには好きな人がいるみたいだよ。いいの?」
みんな決まって言うのは、
「聞いて見なきゃわからんじゃん!」
そして、全員沈没していきました。私はというと、Kには怒られるわ、紹介した連中にはうらまれるわで、とんでもない目に会いました。
そうそう、中学の頃私は、浜松の幼稚園のときに近所に住んでいた女の子由美ちゃんと文通をしていました。今では、文通なんて考えられないことかもしれません。彼女は明るく健康的な人で、何にもまして多分美人でした。彼女とは高校を卒業するまで手紙のやり取りをしました。とても楽しかったのですが、卒業してから突然手紙が来なくなってしまいました。その事は残念に思います。そのことは、Kも知っていて、
「ユウあんた、よく手紙なんか書き続けられるね。どんなこと書いてんの?」
「何で、Kにそんなこといわれないといけないんだよ!関係ないじゃん。」
「私のこととか、変なこと書かれてたらいやなんだもん。」
「Kのことなんか書かないよ。」
ひどい仕打ちを受けていることなど、当然、しっかり書いています。
「本当だろうね!」
「本当だって。」
こんなやり取りが、中学時代はいつもありました。
中学を卒業し、無事高校に合格、晴れて私はケンと一緒に桜山高校の生徒になりました。Kはというとお嬢さん学校で有名なミッション系の女子高白鳥高校へ通うことになりました。これでKからの呪縛から開放されると思いました。が、時々電話はかかってくるわ、呼び出されるわで学校では顔を会わせないで済むだけのことだったような気がします。
高校1年の入学間もない4月、ケンから「この間、伴先輩がKに付き合って欲しって告白したんだって」と聞かされました。その後のことを聞くと「聞いてないけどうまくいってんじゃないの。先輩ってKちゃんのタイプだったから。」との返事でした。私はこのとき、Kと伴先輩が付き合ってるとばかり思ってました。
高校に入学して、1年が過ぎ、2年になる頃に私は、英子ちゃんのいた朝日小学校の時の友人石山君(彼とは有難いことに今でも付き合いが続いています)を訪ねる機会がありました。私は、彼のところで小学生のときの話、友達と遊んだ話など昔話に花を咲かせました。中学を卒業して、みんなはどうしているという話になり、彼が卒業した中学校の卒業アルバムを見せてもらうことになりました。
私の手は、あるクラスのページでぴたりと止まりました。英子ちゃんの写真、姿がそこにあったのです。なぜか、彼女は寂しそうな顔をしていました。(私がそう思っただけなのですが)私は、その時どんな顔をしていたのでしょうか。見ることが出来るなら、見てみたい。どんな気持ちだったのだろうか。当時の日記を覗いてみると、なんともいえない気持ちになったことが、今でも手に取るようにわかります。
石山君の話しによると、彼女は、地元の高校ではなく、少し離れたところにある神山高校に通っているとのことでした。彼と会話をしている間中、私は英子ちゃんのことをどう切り出そうかとそのことばかりを考えていました。
彼に話せば、力になってくれるとは思ったのですが、彼女がそもそも私を記憶しているかどうかはなはだ疑問だったのと、もともと私の一方的な片思いだと自覚していたからです。どうなるものでもないのですが。私の想いと今の英子ちゃんとが大きく違ってしまっていたらどうしよう、そのような想いもあったかもしれません。
言い出せない原因が他にあるとしたら、そのとき、高校のクラスメートに淡い恋心を抱いていたからかもしれません。まさか、この時期にこんな状況になるとは考えもしていなかったものですから。ダイナミックな失恋をしたのは、この2ヵ月後くらいでしたが。その頃はひょっとしたらうまくいくかもしれないと勘違いしていたところもあります。
失恋した時、その話をKはすでに知っていて、正直にいきさつを話したら大笑いされ、2、3日内には西山中学時代の同級生に知れるところとなりました。話すのではなかったと後悔しました。よりによって、Kに話したのが失敗でした。でも、何故知っていたのだろう。まあ、一番悪いのは、私自身かもしれませんが。
しばらくして、私は思い切って石山君に英子ちゃんのこと、想いを切り出しました。彼は、よく理解してくれて、「出来ることはやってみよう」といってくれました。しかし、彼によると英子ちゃんは同じ高校の同級生と交際しているらしいという石山君の言葉を聞き少なからず動揺したのを憶えています。(私が勝手に好きになっただけの話なのにです。)厚かましくも、彼に何とか文通のOKくらいとってくれと頼んで別れました。
私は、しばらくは英子ちゃんから手紙が届くだろうか、届いたらどうしようかとなど色々想像して、自分自身楽しんでいた節があります。しかし、いくら時間が過ぎても便りなどありませんでした。今日くるか今日くるかと楽しみにしつつ毎日を送りました。そのうち、だんだんそのような期待もしなくなっていきました。そもそも手紙など届くはずはなかったのです。石山君は何もしていなかったのですから。
高校に入学してからKからは、週に2度は電話がかかってきます。そういえば、なんかこの間うきうきした声で電話がかかってきたような気がするなあと思ったりしたので思い切って伴先輩と付き合ってるかどうか、K本人に聞いてみました。が、「ほっといて!」と言って一蹴されてしまいました。聞かなきゃ良かった。Kは、他に友達がいないのかなあ。伴先輩と付き合ってて、なんで、電話してくるんだろうとずっと思ってました。
高校3年生になり、大学受験という多くの高校生と同じ道を私も歩き始めました。完全に英子ちゃんへの思いはその時点で、私の頭の中からは消えていったのかもしれません。その間もKとのやりとりは続くのですが。むしろ、Kのお母さんやおばあちゃんとの方が仲良くしていたかもしれません。実際、今もそうです。
結局、高校時代は、彼女もできず、Kに振り回されながら過ぎていきました。
長くつらい受験戦争(まだこの言葉が使えるかどうかわかりませんが)が終わり、私も信濃大学の学生になりました。Kも大学生となりました。Kはミッションスクールのため推薦でそのまま上の白鳥大学へ入学が決まったため入学試験など経験しなかったので、暇になると受験生の私に電話をかけてきてきました。これには、ほとほと困りました。居留守を使ったことも度々です。
私は、地元の国立の本州大学へは行けず、地方の国立大学である信濃大学を選びました。本州大学を落っこちたためでもありますが。とりあえず、家を出たいというのもあったからです。行きたかった大学ではあるのですが。両親からも私立大学なら他所へは行かせてもらえないと言われていました。とりあえず、地元私立の鳴海大学は受かってはいました。
大学に合格したときにKから電話がかかりました。
K「どうして、信濃大学受けたの?ユウのお母さんからもいわれたんだけど、地元の鳴海大学へ行ったら?」
「何でだよ!折角行きたい信濃大に受かったのに。それに、最初はおめでとうと違う?」
K「おめでとう。どうして信濃大へ行かなきゃいけないのよ!」
「だから信濃大学で勉強したいことがあるんだってば!」
K「あんたが勉強なんかして、何になるつもりなの。」
小学校の卒業文集にも書き、前からずっとなりたいと思っていたので、私は答えました。
「生物学者!」
電話の向こうでKの大笑いする声が聞こえました。
「ちょっと失礼じゃないでしょうか!」
K「帰ってきたときは、ちゃんと連絡してよ。」
「何で?」
K「何でもよ。がんばってね。」
そんなやり取りはありましたが、私も大学生になれました。
信濃大学の入学式も済み、ガイダンスが始まった頃、田下君というクラスメートと親しくなりました。まったく偶然とは、彼は英子ちゃんと同じ神山高校出身ということを知りました。私は田下君に話をしているうちに英子ちゃんのことを話し始めました。私自身の幼かった頃の思い出として。
彼は私の話しを聞いてくれていましたが、突然「連絡をとってみようか。何とかなると思うけど。」
私はというと「ええ・・・」ものの見事に固まりました。
しばらくしてから、ようやく自体が飲み込めて「よろしく頼む」といったとき体の芯が熱くなっていくのを感じました。田下君は彼女とは一度も口をきたことがないとのことでしたが、たまたま昔田下君の友達と付き合ったことがあったため、知っていたようでした。今なら考えられないような気がしますが、田下君は私のために、手紙を彼女に書いてくれました。あの時は、なんていい奴なんだと思いました(今でもそう思っています。)が、ひょっとしたら、ただ、面白がっているだけだったかもしれません。(そうでないことを信じています。そう望んでいます。)
あの時、あれほど嬉しく、自転車に乗り駆け回って英子ちゃんから返事がきたのを田下君に見てもらいに行ったのに。空が抜けるように青く澄み、手紙がGパンのうしろのポケットの中でくしゃくしゃになっても、私の心は雲ひとつないアルプスを見るときの明るい楽しい気持ちになった18才の春のことです。
そのときから私と英子ちゃんとの文通が始まりました。彼女は、家から通える伊月音楽短期大学の学生で、ピアノを専攻しているそうです。最初は、身近で起こったこと、学校のことなどありきたりのことを書いたりしていました。
返事をもらえることが嬉しくて、楽しくて。それだけが、その時私と彼女をつなぐ糸だったのです。初めて家を離れ、ひとりぼっちで下宿生活を始めた私にとって、彼女からの手紙が心のよりどころとなりました。
大学1年当時、彼女とは一度も会うこともなく過ごしました。ひょっとしたら、この手紙だけのやり取りだけのときが、一番楽しい時期だったのかもしれません。私にとっても彼女にとっても。
Kからも手紙が届きましたが、返事が遅くなると文句ばかり書いてくるので、返事は1度もしたことがありません。そのうちKからの手紙は来なくなりました。しかし、週に1度は電話がかかってきます。Kとは、同じ距離を保ちつつ、友情は続いています。
英子ちゃんとは、電話で2、3度話すことはありましたが再会の機会は、大学入学以来ありませんでした。大学2年になる少し前、私の帰省にあわせて、転校以来、8年ぶりで会う約束をすることが出来ました。名鉄名古屋駅の出口で待ち合わせをしました。英子ちゃんはどんな女性になっているのだろうか、私を見て、嫌な顔をしないだろうか、何て声をかければいいのだろうか。彼女を見つけることは出来るだろか。ひょっとしたら来ないのではないだろうか。期待して行ったつもりが、不安ばかりが募りました。
私が、駅に着いたとき、一人、待ち合わせ場所あたりの壁際に、人待ちをしている女性を見つけました。少し、違うような気がしましたが、10年近くも経てば、女性は変わっていくだろうなと思い、おそるおそる近づいて、「英子さんですか?」彼女の返事は、「いいえ違います。」これには、はずかしいやら、妙にほっとしたような。私は人間違いをした恥ずかしさもあって少しその場を離れました。
しばらくしてから、今度は絶対間違うはずがない彼女を見つけました。表現は月並みですが、私が想像していたとおりのイメージの彼女がそこにいました。美人?でもなくかわいいというには、少しよわすぎる、そんな彼女が。一人静かにたって待っていてくれました。Kとはかなり違うなあと思いながら、私は、今度は、確信と自信(これは彼女が彼女であるという確信)を持って彼女のそばに行き、あいさつをしました。
「こんにちは、お久し振りです。水野優作です。英子さんですよね。」(こちらは、心臓の鼓動がドラムマーチ並みのスピード)
彼女も笑顔であいさつに応えてくれました。
「お久し振りです。英子です。本当にあの水野君?」
「はい、あの水野です。」
私は、あのときを、あの瞬間を決して忘れないでしょう。
私たちは、会ってまもなく映画を観に行きました。会うときにどこへ行きたいか電話で尋ねたときに、映画それもチャップリンのモダンタイムスを観たいと彼女が希望したからです。ところが、当時は今と違って、観客がいっぱいで立って観ることもざらで、案の定立ってみる羽目になってしまいました。人ごみと立ちっぱなしに疲れ、映画を見た後2人で喫茶店に入りました。お互い話すことはたくさんありました。自分の大学生活のこと、彼女の短大のこととか。彼女と話をしていると子供のころ転校して以来会っていなかったということがうそのようでした。私にとっては、彼女への想いが大きすぎて(それを表に出すことはありませんでしたが)、何を話しても楽しく、ふと昨日こうして二人で一緒にいたような気がしてなりませんでした。
彼女が眼を閉じれば、口を閉じれば、それで何もかもがこわれてしまいそうな再会でした。小学校時代の思い出、小学校を卒業してからの友達の様子などを二人で交わしました。「昇君は今四国大学へ行ってる。」とか「正子さんは浪人中」だとか、話といって二人にとってまるで関係のない話しでしたが、共通の知り合いの話が多かったので話は結構盛り上がりました。(大半は私が聞き役なのですが)彼女が話してくれるだけで、楽しいそんな時間を過ごしました。
喫茶店を出てから食事となりましたが、あまり動いていないこともあり、食べたのは私だけで、彼女は飲み物を注文しました。別にこれといって話すこともなかったのですが、取りとめもない話に私は夢中になっていたようです。彼女の眼を見ていると、私自身の気持ちが見透かされているようで、とても恥ずかしかったのですが、一緒にいられることがとても楽しくて、時間が経つのも忘れて時を過ごしました。
彼女は、私のことをずっと水野君と呼んでいます。私は、ほとんどの同級生には、ユウとしか呼ばれないので、変な感じでした。そこで、彼女に
「友達は、僕のことユウってしか呼ばないから、ユウって呼んでもいいよ。水野君は何か自分じゃないみたいで、変なんだよね。」
「いきなりユウは無理だから、ユウ君って呼んでもいい?」
「そっちのほうが、水野君よりはずっといい。」
「じゃあ、私も英子さんじゃなくて、Aってみんなが呼ぶから、Aでいいよ。」
「僕も、いきなりAは無理。Aちゃんって呼んでもいいかな?」
「ユウ君がそれでいいなら。」
「じゃあ、これで決まり。」
少し彼女との距離が縮まったみたいで、うれしくなりました。それに、嫌われていないみたいでホッとしました。
「送らなくていいから」という彼女の言葉を押し切って名古屋駅まで送りました。短い時間でしたが、過ごした時間に幸せを感じて気持ちよく家路につきました。
帰りの電車で、高校時代「朝日の恋人」といわれたマドンナ、歩さん(彼氏はちゃんといました。彼とも友人です。)と偶然再会しました。この日は、何年かに1度の当たり年だったのかもしれません。彼女に誘われて、実家の近所の喫茶店で話をしました。
彼女からコーヒーの話を聞いたり、大学の英語の課題であった「生と死」の話をしたりその日、私がAちゃんと会ったことなど話しました。別に話す必要などなかったのですが、私もよほど嬉しかったのでしょう。きっと誰かに話したかったのだと思います。
歩さんに会えて本当に良かったと思います。彼女は明るくて、美人で春の風がナイトをしたくなるような素敵な人です。それに比べAちゃんはそんなに目立つような明るさはないけれど、日向の石ころのような人です。普段何気なく見ていたらそのまま通り過ごしてしまいそうなのですが、それを見つけたときの喜びが手のひらに伝わってくる、そんな女性なのです。
帰り際に歩さんが
「恵さんとはどうなってんの?」
「相変わらずだよ、何で?」(何故Kのこと知ってんるんだろう?)
「ふ〜ん、ちょっと気になって。なんでもないから。」
そんな会話を交わして別れました。
後日談になりますが、あの日Aちゃんが家へ帰ったとき、母親から「もう帰ってきちゃったの?」と驚かれたそうです。私としては、あまり遅くなっては申し訳ないとの思いで遅くならないうちに帰したのですが。もうひとつの驚きは、私のことを、少なくとも母親には話していたということです。私は一切そんな話を親にしたことがありません。無論、Kにも。
それから春休みの残りを、私は友人のケンとリョウ(高校で同じテニス部で仲の良かった中山良一君のニックネーム)と三人でケンのお父さんの郷里、串本へ旅行したりして過ごしました。そのうちに、休みも終わりに近づき、朝起きて、サークルの合宿のため、下宿へ戻る準備をしていると、Kから突然電話が入りました。
K「今、何してんの?」
「帰る準備。」
K「じゃあ、暇だね。お茶飲みにいこ!」
「話し聞いてた?帰る準備中だってば。」
K「そんなのすぐ出来るじゃん。30分後駅前の喫茶店。遅れないでね。」
ガチャ。ツー、ツー。切られてしまいました。
いつもこんな調子です。
喫茶店で、先日行った旅行のことや今度引越しした新しい下宿のことなど話をしましたが、Aちゃんの話はしませんでした。後は、ほとんどKが一方的に話をしていました。
K「ところで、いつ帰るの?」
「準備出来次第。」
K「あんたねえ、言葉に接続語使ったほうがいいんじゃないの!女性に対して失礼でしょ。」
「・・・・(女性?それならあなたの言い方は男性に対して失礼なのではないでしょうか。)」
K「ほら、都合が悪くなるとすぐ黙る!いっつもそうなんだから。あんた絶対彼女できるタイプじゃないね。」
「・・・・(Kだから黙るんだけど)」
K「今日帰るつもりだったの?私にも都合があるんだけど。」
「?・・・」
K「何時ので帰るの?」
「出来れば、夕方までには向こうに着きたいので、1時までには家を出たいと思ってるんだけど。」
K「あんまり時間ないじゃん。あんたこんなとこで何やってんの。早く帰って準備しないと。」
「・・・・(おいおい、原因は誰よ!)」
K「見送ってあげるね。」
「都合があるんじゃなかったの?」
K「あんたが心配することじゃないのよ。」
「?」私には何がなにやら。
とりあえず、家へ戻り帰り支度をして、Kに見送られて下宿へ戻りました。
私の入学した信濃大学は、教養課程が1年で、2年から各学部に学生が移っていきます(私たちは散っていくといっていました。)。私も2年となって下宿を替わることとなりました。さすがに新しい下宿での生活は寂しいものでした。何せ、周りに何にもない田んぼと畑だけのところでしたから。静かな夜は、牛の鳴き声が良く聞こえるようなところです。小学生は、冬になるとランドセルに鈴をつけて学校に通います。何と!熊が出るからです。
その寂しさを紛らわしてくれたのが、Aちゃんからの手紙です。日常茶飯事色々なことを私に知らせてくれました。(本当に感謝です。)大学の事や家族の事など色々です。私も手紙を書くことがとても楽しみになりました。彼女と会って、話したことが私と彼女をより一層接近させたようです。一ヶ月に一通か二通でしたが、手紙が届くのが、出すのがとても楽しく大切なそんな気持ちを過ごした頃でした。
順調な滑り出しの大学生活も2年目に入り、2年目の春などという三文小説に出てくるような言葉が気にならないほど充実した毎日でした。サークル活動もやることなすこととてもうまくいき、自分でも少しおかしいのではないかと思ったほどです。彼女を愛してしまったというような深刻な問題でもなかったし、恋をしているというには、あまりにも私自身忙しすぎたようでした。しかし、好きなのには間違いありませんでした。
夏休みに入る前に、一度私は実家で用事があったため3日だけ帰りました。Aちゃんと会いましたが、何故かそのときのことをあまり憶えていません。どうしても思い出せないのです。彼女と会ったとき、待ち合わせ場所に彼女が友人を連れてきていたことは確かだったのですが。喫茶店に入りましたがその先は不明です。思い出せないのです。
記憶があいまいなことの心当たりがあるとしたら、Kに実家へ帰る話をしたら、
K「名古屋駅まで迎えに行ってあげる。」
「何で?」
K「お昼一緒に食べようよ。」
「何で?まあ、いいけど。」
ということで、駅で待ち合わせをしたのですが、待てど暮らせどKは来ないし、お腹はすいてくるし、携帯電話などという文明の利器は当時にはなく、Kの家へ電話をしても誰も出ない状態で、何時間も待った挙句、お腹をすかせて実家へ帰ったのでした。とんでもなく無駄な時間を過ごしてしまったと悔やみました。さすがの私も相当頭にきてましたから、彼女のことを憶えていなかったのかも知れません。
Kはというと、帰る前日に
K「この間はごめんね。明日送っていくわ。何時?」
「いいわ、遠慮しとく。」
K「はいはい、何時?」
「俺の話し聞いてなかった?」
K「は〜い、あんたには、話す権利な〜し。」
「・・・・」
K「だから、なんじ?」
「12時。」
K「じゃあ10時有松駅前ね!」
「それちょっと早くないか!」
K「はい、10時決定!明日ね。」ガチャ、ツーツー
「・・・・」
いつものKのペースで話は進んでしまいました。駅へ迎えに来なかった理由も聞く勇気がわきませんでした。Kはホームまで見送ってくれて、電車が動き出すと見えなくなるまで手を振ってくれていました。
Aちゃんとの文通は続いていましたが、サークルに没頭しすぎて、単位が危なくなり、余裕を持って生活を送ることが出来なくなってもいました。再試験、追試験のパスポートまで取ってしまい順調な学生生活のはずが大変な目にあってしまいました。
夏休みに入ると同時に、サークルの合宿、試合、合宿、試合、合宿の連続で、さすがの私も心身ともに疲れ果ててしまいました。楽しみは、下宿に帰ったときに届いているAちゃんの手紙でした。手紙を励みに夏を乗り切ったようなものかもしれません。
夏休みも終わりになる頃に、やっと実家に帰ることが出来ました。実家に帰った私は、とりがらのようにげっそり痩せてしまっていました。今からでは考えられません。とりがらといって指をさして笑い転げたのはKです。実家へ帰ってからは、クラス会に出席したり、両親の実家のある田舎へ帰ったり、友達と会ったりと忙しく楽しい時間を過ごしました。そのなかにKも入っています。
Aちゃんとは、夏休みも終わりの頃、8月の末に会うことが出来ました。彼女もアルバイトが忙しくて時間を作るのが大変だったようです。二人の待ち合わせは、初めて会った場所が二人の待ち合わせ場所となりました。それから二人で地下街に入ります。別にどちらが言い出す訳でもなく、並んで歩いているとそちらの方へ行ってしまうのです。
彼女とどうしていつもこちらの方に来てしまうんだろうと話をしましたが、今もってその訳はわかりません。地下街の喫茶店で二人で向かい合っていると必ず、時間があっという間に過ぎていきました。会って話すことといってもこれといってなかったのですが、お互いどのような状態にあるか手紙のやり取りでわかっていたからです。Aちゃんがしゃべりだせば私は頷き、逆に私が話し出せば、彼女が頷くというように。二人の間に沈黙が入ればそれはそれで楽しいのです。
あのときの会話が一体どのようなものであったのか、今は思いだせません。いつもあとから思うことなのですが、あまり憶えていないのです。空が底抜けに青いときのように私もそんな気分だったのでしょう。
この日は、名古屋城へ行こうということになりました。彼女がそんなことを言うはずがないので、きっと私が言い出したのです。実をいうと、私は6年生のとき転校してきたのですが、天守閣に登ったことがありませんでした。だから、一度登ってみたいと思っていたのです。
話を聞けば、彼女もお堀の所までは行ったことあるけれど、天守閣へはまだ登ったことがないとのことだったので、行ってみようということになりました。
月末とはいえ、まだ8月の暑い中、彼女は汗をにじませながら、私はというと暑さに強いということもありますが、汗をかきにくい体質のようで涼しい顔をして城へ向かいました。今思えば、炎天下のなか細身の彼女を何も考えず、引っ張りまわしてしまい気の毒なことをしてしまったと後から反省しました。本当に暑い1日だったと記憶しています。
二人で天守閣に登ったのですが、一度焼失してしまったため、現在の天守閣は、松本城のような当時の姿は現存せず、何もないデパートのようでがっかりしてしまいました。天守閣へは折角登ったのですが、すぐ外へ出てしまいました。お堀のそばにあった売店で、失敗したねといいながらかき氷を食べました。暑い中、歩いてきたのにかき氷のほうがありがたいとは、体力が有り余っていた当時の私にとってはそれはそれで楽しかったのですが。華奢な彼女にとっては、大変な迷惑だったかもしれません。彼女は、この後も一度も私に注文をつけることはありませんでした。ここがKとは大違いなのです。
あまりに暑く、氷を食べたからといって涼しくなったわけではなかったので、涼しいところを探そうということになりました。
売店の近くに、体育館があり、何かの試合をやっているようで、入場してみることにしました。入っていくと、ちょうど大学の卓球大会が開催されていました。中はとても涼しく、外に比べれば、天国のようでほっと二人でため息をつき、顔を見合わせ笑ってしまいました。
二人が隅っこですわっていたら、一人の選手がこちらに近づいてくるではありませんか。私にとってははじめて見る顔の女性なので、誰だろうと思っていたら、何とAちゃんの友達だったのです。なぜか彼女は大慌てしていました。私といるのを見られたのが恥ずかしかったのでしょうか、少し考えてしまいました。(いい意味と悪い意味どちらなのだろうかと)確かに、あの頃の私は、暗いところにいれば、闇に溶け込みそうなくらいの日焼けをした、白いのは歯くらいの汚い格好をしたいかにも貧乏学生でしたから。
いつも落ち着いている彼女の慌てぶりに、「へえ、Aちゃんにもこんな一面があるんだ」などとその時妙に感心してしまいました。何せ、彼女は私よりはるかに落ち着いていて、ずっと大人だと思っていましたから。私は彼女の慌てぶりとは対照的に、笑顔で友人にあいさつしたのを憶えています。(恥ずかしながら、どうだという顔つきだったかもしれません。あの自信はどこからきていたのでしょうか。)
しばらく、その友人に試合の解説を聞きながら、話をして時間を過ごしました。それから、駅の方へ戻り喫茶店に入りました。一体話すことなんかあったのでしょうか。そう思えるくらい一緒にいました。ただ、一緒にいることが楽しくて、楽しくて時の経つことに恐れ、振り返ったとき、一人じゃないと思えるそんなひとときを私たちは過ごしていたのかもしれません。離れる事はあまりにもつらく、不自然と思っていました。
何もしなくても時間は過ぎていきます。ビルの谷間に帳が下り、暗がりが被い始めた頃、彼女の門限がせまってきます。そんな楽しいときでも別れのあいさつをしなければなりません。
次に会えるのは、何ヶ月後になるかわかりません。「さよなら」という言葉が出せず、二人が黙る時間が長くなります。それでも、喫茶店を出なくてはいけません。沈黙が怖くて、話が途切れないように必死で話しつづけ、彼女を駅まで送りました。送った後、家に帰るときの虚しさ、切なさといったら。
それから、2日後私は下宿に戻りました。やはりこのときもKが駅で見送ってくれました。
下宿に戻ったときには、彼女からの手紙がすでに届いていました。この頃、私にとって彼女からの手紙が二人の意思をつなぐ大切な糸であったと思います。本当に手紙が届くのを心待ちにしていました。
本当に楽しい時期だったと思います。しかし、今は、なぜか夏の終わりに彼女と会ったことが、私には、はっきりとした形では頭の中に描き出せないでいるのです。霧のかかってしまった山の木々がその姿を現さないように、それだけに懐かしくもあるのかもしれません。
山の秋はとても静かです。そして、すぐ過ぎてしまいます。山は紅葉し、空は澄み、白い雲は流れ、このときばかりは、一人考え込んでしまう時間が長くなります。
ひとり下宿の部屋に戻り、机に向かえば、知らず知らずのうちにペンをとり、彼女への手紙を書いている自分の姿が思いおこされます。秋は感傷的になるので、私にとって好きな季節ではありません。
冬休みに至るまで彼女との手紙のやり取りは、私にとってなくてはならない生活のひとつでした。楽しいとか楽しくないとかという感情以前の問題であったかもしれません。それがすべてだとは決していえないのは良くわかっていましたが、ひとつの場所を占めていたことは事実です。
その2へ続く